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[バングラディッシュ旅行記(ダッカ編2)]
2月11日(火)11:22pm


ダッカ編1を読みたい方はここをクリック


駐車場を挟んで別館となっている「離れ」から本館へと入った。

食堂では、ジャスミンさんの愛娘であるスマちゃんが遊んでいた。
スマちゃんは日本育ちなので、ベンガル語を話さない。
聞いて理解する事はできるらしいんだけどね。

食卓につくと、間もなく料理が運ばれてきた。
湯気が立ち上るそれらの料理は、全てカレー色を纏い、・・・美味そうだ。

まず、俺は手を洗った。 
日本人である俺たちの為にフォークや箸を用意してくれたけど、使うつもりは無かった。

そうだ。バングラディッシュまで来たんだ。現地の人と同じく、右手だけで食べるんだ。

ジャスミンさんと、ジャスミンさんのお父さんが軽くレクチャーしてくれた。
右手による食事方法、それは俺が想像していた物とは全然違っていた・・・

今まで、「手で食べる」というのを想像した時、俺は指先を使っていた。
指先で食べ物をつまみ、口元へ運ぶ。

それは日本人が「せんべい」や「ポテトチップス」などを食べる時の手付きと一緒だ。


だけど、こっちの食事の時の手の使い方は、指先を使う食べ方ではない。

まず、親指以外のの四本の指を揃え、そこに食べ物を置く。
それを口元まで持って行き、親指の外側を使って押し出すんだ。

図解するとこんな感じ。

  (クリックで拡大)

なるほど!こうかぁ!!

美和子ちゃん(母親)も試してみていたが、結局うまくできず、スプーンを使っていた。
俺はというと・・・なんと85点の合格点を貰った

料理の方は日本のカレーとは味こそ違えど、スパイスが効いたカレー味で美味かった。


そうそう。俺は聞きたい事が2つあったんだ。
一つはさっき外で見たこれ↓が何かという事。
  (クリックで拡大)
ジャスミンさんとジャスミンさんのお父さんに聞いたところ、以外な答えが返って来た。
なんだと思う? あの外で見た物体の名称は・・・・


それは・・・  「リキシャ」 だったんだ。

おいおいマジかよ?と聞き返したくなる。だけど本当に「リキシャ」と呼んでいる。
「リキシャ」といえば、モロに漢字に直す事ができるじゃないか!  そう「力車」だ!!

京都などで良く見かける、人が引くタイプの「人力車」。
それとバングラディッシュで自転車が引く「リキシャ」。

一体この接点は何だ? 残念ながら俺にはさっぱり解らん。


んで、もう一つの質問。「ありがとう」ってベンガル語で何って言うの?
これは簡単だった。  「ドンノバ」って言えばいいらしい。

他にも、初級ベンガル語を教えてもらったので、ちょっと紹介しておこう。

ベンガル語は、文法の用法が日本語とほぼ同じなので、単語を覚えるだけで話す事ができる。

「あなた の 名前 は 何 ですか?」
    ↓
「トマル    ナム    キ ?」 (階級が自分以下の人に対して)
「アプナム  ナム    キ ?」 (自分よりも階級が高い人、目上の人に対して)

「あなた」という単語は、話す相手の階級によって使い分けないといけないらしい。
「名前」→「ナム」 「何?」→「キ?」の2つは単純だ。

「こんにちわ」
 ↓
「アッサラムァレイコム」(こんにちわと呼び掛ける時)
「ァレイコムアッサラム」(こんにちわという呼びかけに応える時)

どうしてか知らないけど、「こんにちわ」とどっちが先に言ったかによって単語の順番が変わる。


他にもたくさん教えてもらったけど、全部書ききれないのでここまで。


食事も終わり、一通り落ち付いたところで、買い物に行く事になった。
目的地はNGOが経営している、収入地元還元システムを採用しているお店だ。

車で20分ほど掛けて、その店に到着した。
入口に警備員がいる事からして、ここが外国からのお客を対象にした高級店である事を伺わせる。

店内はこざっぱりとしていて、商品が整然と置かれていた。

このお店の「収入地元還元システム」という経営体制は、
言ってみれば、「自国で生産し、自国で売る」という事だ。
第三国の参入による搾取を防いで、他国にお金が流れていかないようにね。



俺は一回り店内を回った。

大理石でできた灰皿、何かの繊維でできたバッグや、本皮製品。
日本で買ったら何万円としそうな製品が2000〜3000円ぐらいで売られている。

びっくりだ。

なかでもシルク製品が目立った。
シルク製品は、肌触りがとってもいいけど、洗濯が大変らしい。
普通に洗濯したら、縮んで使い物にならなくなってしまうからね。



ある程度見回ったところで、そのお店を後にした。


次は、ジャスミンさんのお父さんのお勧めのお店らしい。
車を走らせて着いたビルの3階へ上がっていくと、ドアが閉まっていた。

どうやら今日はもう閉店してしまったようだ。
しょーがないので、その横の「アメリカン・ショップ」というアメリカ製品専門店へと入る事になった。

  (クリックで拡大)
↑この写真、良く見ると「駐車禁止」の標識が日本と一緒のような・・・

店内はどこかで見たようなキャラクターがひしめいていた。
殆どのものは、やはりアメリカから直輸入したものらしかった。

しかし、明かにキティちゃんに「似た」生物がプリントされている物もあった。

プリントの安っぽさから、本物でない事は一目瞭然なのだけれど・・・・


そのお店の中のものは、輸入品ばかりで値段が高く、
あまり珍しいものもなかったので、早々に後にした。



家に帰って、薄暗い部屋へと帰ると、召使いの人が「蚊帳」を張りに来てくれた。

バングラディッシュの気候は、冬の今の時期が蚊にとって一番過ごしやすい気候らしく、
蚊に刺されっぱなしで寝るのは色々な面でよろしくない。

なので、蚊帳を吊って寝るんだ。

・・・良く考えてみると、俺は蚊帳の下で寝た経験があまり無い。
日本で、夏の蚊の多い時期は「蚊取り線香」を多用して蚊帳は使わなかった。

だから、俺が蚊帳の下に入って思い出したのは「遠い子供時代」なのではなく、「蛍の墓」だった。



今回は、蚊帳を吊ってくれたお礼を言う事ができた。   「ドンノバ」って。

本当は、2人の名前も聞いたんだけど、忘れてしまった。


その日はそのまま寝入ってしまった。
天上で揺れる巨大扇風機は一晩経っても落ちて来なかった。 !!NI$+$C$?!#


===================================


次の日、ドアを叩く音で目が覚めた。

ベッドから降りて、ドアを開けると、召使いの人が立っていて、開口一番こう言った!

  「ユウキさん、ゴハン!ゴハン!」  (文字のまま)

だぁっはっはっはっはっはっは!!! やられた!

まさか俺がベンガル語が分からないので日本語で呼ばれるとは!
どうやら、ジャスミンさんが教えたらしい。


食堂で軽い食事を済ませたあと、俺はベランダから外を眺めていた。


すると、黒いバンが家の前に止まった。
バンの横腹には、赤十字のマークと、見なれない「赤い月のマーク」がついている。

・・・?

やがて、車内から日本人らしき人が出てきた。
  (クリックで拡大)
そういえば・・・昨日美和子ちゃん何か言っていたような気がする。

バングラディッシュ赤十字の人に、
美和子ちゃんがやろうとしている「奨学金制度」に関する意見を伺おうとか何とか・・・


良く分からんけど、俺も本館の方へと降りていった。


本館の客間で、その人は意見交換を行っていた。

さっき見た人の名前は「斎藤さん」。
日本赤十字よりバングラディッシュ赤新月社へと派遣された人らしい。

ここでの一つのポイントは、
バングラディッシュはキリスト教国家ではなく、イスラム教国家なので「赤(十字)」は宜しくないって事。

だから、「赤(新月)」になってるんだ。

さっきの車の横腹に書いてあった「赤十字」の横の「赤い月のマーク」は
イスラム教区域における「赤十字」のマーク、つまりは「赤新月」のマークだったんだね。

さて、斎藤さんはバングラディッシュの現状を、長年に渡ってみているので現状を良く知っている。

まず、バングラディッシュにおける識字率は、公的には国民の50%と発表されているが、
実際はもっと少ないだろうとの事だ。

自分の名前だけ書ければ「読み書きできる」と判断されているんだってさ。
実際の識字率は15%ぐらいだろうと言われている。

ベンガル語でもそれぐらいの人しかできないので、英語が読み書きできる人の割合となると、
それよりも更に低い割合だろうと思われる。


んで、まだまだずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと色々な説明や意見交換をした。


そして、最後にどういうワケだか、バングラディッシュ赤新月社のオフィスに来ませんかという話になった。

美和子ちゃんは、バングラディッシュの水質ヒ素汚染を改善する「ヒ素ネットワーク」とかいうとこへ
この後行かなきゃいけないので、なんと、      俺だけがバングラ赤新月社へ行く事になった!


なんてこった・・・俺みたいな若造がそこへ行って何をしたらいいのやら・・・。


続く。


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[バングラディッシュ旅行記(ダッカ編1)]

1月27日(日)10:12am


朝、目が覚めた時はまだタイに居た。
1階の食堂へ降りて、セルフサービスの豪華な朝食を取り、
午前9時にシャトルバスに乗ってタイ空港へとやってきたんだ。

飛行機へ乗り込み、今度こそはバングラディッシュへと入国した。


バングラディッシュの首都、「ダッカ」に位置するダッカ国際空港に到着したのは、
お昼をちょっと過ぎた午後1時だった。

前に訪れた事のある、美和子ちゃん(母親)は降りて開口一発
「キレイになってるぅーーーーー!!!!」

・・・だそうだ。改装されているんだって。
日本人の目から見るとかなり雑な作りかもしれない。

その改装された空港の通路を通って1階の入国審査所、及び手荷物受け取り所へやってきた。

入国審査所にて、ビザの有無を聞かれた時に
「ここの入国審査所で発行して貰えると聞きました」
と言ったら、すぐに通過する事ができた。

洒落にならない程重い荷物をカートに積んで、いざ「円」を「タカ」に換金しようと思ったら・・・
3人並んだ両替商の人達が受け付け窓口の向こうから手をこまねいて 必死に客寄せしているじゃないか!

日本人3人はたじろいだ。

窓ガラスの向こうから片手が3本ニョッキリと突き出し、自分の所で換金させようと必死になっているんだ。

俺達はそのうちの一つで換金した。
そこには3つの銀行が入っていたけど、換金レートが全て一緒だった為、
どこで換金しても変わらなかったからなんだ。

無事に換金を済ませ、それぞれ自分の手荷物を持って空港から外へ出た。

外へ出ると、乾いた空気を感じた。

出口を出てすぐ外はスロープになっていて、銃剣を持った兵隊が警護にあたっていた。
黒いフェンスの向こうには、待ち人なのか野次馬なのか分からないけど、たくさんの人が待っていた。


・・・で、さて、 俺たちはこれからどうするのかな??


美和子ちゃん(母親)によれば、宮崎で美和子ちゃんが知り合いである
「ジャスミンさん」の家に泊めてもらうそうだ。

・・・そのジャスミンさんはどこにいるのやら・・・・


すると、向こうの方で薄ピンクのサリーを着た女性がこっちに手を振っているのが見えた。
ははーん。あの人がジャスミンさんだな?

俺達はそっちの方へと荷物を持って歩いていった。

「こんにちわー どうだった?」

そのサリーを着た女性は流暢な日本語で俺達に話し掛けた。
良かった。どうやら俺達は目的の人を見つけたようだ。

美和子ちゃんがすかさず俺に耳打ちする・・

 「こっちの男の人は女の人と握手できないから、悠希がしてよ」

ああ。そうか。バングラディッシュは男性社会だった。
日本人の常識では通じないんだったっけ。

ジャスミンさんのお父さんが向かえに来ていて、俺は握手をした。
美和子ちゃんはお辞儀をしていた。

ジャスミンさん達は、車2台で向かえに来ていて、俺達は荷物を積んだ。

1台は家で雇っている専属の運転手さんが運転する車。
もう1台はジャスミンさんのお父さんが運転する車だ。

俺達3人は専属の運転手さんが運転する車にジャスミンさんと一緒に乗り込んだ。



そして・・・いよいよ バングラディッシュの「内部」へと足を踏み入れたのだった。



空港を出て、いきなり俺を向かえた光景があった。
地平線まで届くような高速道路・・・その中央分離帯の切れ目のトコで、裸の赤ちゃんが走りまわっている。

ようするに、中央分離帯のとこで、こっちの道路へ行ったり、あっちの道路へ行ったりして遊んでいるんだ。

横にいる母親はそれを微笑ましい笑顔で見守っている。

ある時、赤ちゃんが道路側にこけた。 
もしもその時 車が来ていたら、赤ちゃんの頭は100%吹っ飛んでいただろう。

しかし母親は微動だにしない。まだ笑顔で見守っている。
まるでそれが日常の1コマであるように。

そんな馬鹿な! 常識破壊。 1歩間違えたら必ず死ぬぞ?



常識を破壊する光景はこれだけでは終わらない。


道路からちょっと野原を挟んで線路が見える。そこを30車両はあろうかという列車が通っていく。

しかし・・・なんと、列車の「上」を子供が走っているじゃないかぁ!!
なんと、列車の屋根の上を走っているんだ。

車両と車両の間をジャンプして、どんどん移動している。もちろん列車は走っている。

ぐはぁ・・・


凄い歓迎だ。 これでちょっとの事では驚かなくなっただろう。


1時間ほど車を走らせて、俺達はダッカのの街中へとやってきた。
首都の中心かもしれないが、日本やアメリカのように高層ビルは全然ない。


車は更に走って、移住区へとやってきた。
一軒屋が立ち並ぶ、超高級住宅地だ。

日本で言ったら田園調布か、それよりも高級住宅密集地帯かな?

もちろん、田園調布と同じような住宅が並んでいるという意味ではない。
比較の視点で見た場合の話だ。


車はとある家の前で泊まった。
クラクションを鳴らすと、家の中から誰か出て来て門を開けてくれた。

俺達は荷物を持って、車を降りた。 どうやら今 門を開けてくれたのは「召使い」の人だな・・・

そうだ。バングラディッシュでは召使いがいるのが普通だ。
食い扶持を持たない人を召使いとして引き取るんだ。

前にフィリピンへ行った時に、一度見ているのでそれ程驚かなかった。


ジャスミンさんの家の1階にある客間にはベッドが2つしかない。
足りないので俺は「離れ」に寝るそうだ。

一度ドアを出て、すぐにある階段を上って・・・そこにあるドアの鍵を召使いの人が開けてくれた。

ここが「離れ」みたいだ。 
案内しれくれて「お礼」を言おうとしたのだが、言葉が通じない。全く通じない。

「ありがとう」では勿論ダメだし「サンキュー」でもダメだ。
しまった! 一体、何と言えばいいのだ?

しょうがない。知らないもんは知らないので、日本語で「ありがとう」と言った。
伝わっただろうか。


「離れ」の部屋はなんとなくジメッとしていた。
石造りの壁を照らす光が何とも心細い。。

美和子ちゃん達が寝ている「客室」とはエライ違いだ。

上にプロペラ回転式の扇風機があって、湿気を飛ばす為にスイッチを入れたのだが、
プロペラが回転しながら ゆっさゆっさ 揺れている。  ・・・あぶねぇ。

こんなんが落ちてきたら助からんぞ。
でも、これまでも落ちてないみたいだから 大丈夫だろう。

トイレにはトイレットペーパーが存在しないので、俺達は自分達でトイレットペーパーを持ってきていた。
トイレは地面に穴が開いているタイプの「和式」・・・もとい、「バングラ式」だった。



荷物を置いて、俺はベランダへと出た。
つたの絡まった鉄冊の向こうに道路がある。

2階のここからなら人々の生活を少しでも垣間見る事ができそうだ。
少しの間、道路の行き来を見ていて、少し妙な自転車が異常に多い事に気が付いた。

というか、「普通の自転車を運転している人が一人も居ない」と言った方がいいかもしれない。

その自転車には、後に幌(ほろ)が付いた客席がくっ付いているんだ。
そう。まるで日本の人力車みたいに。

それが1台、2台なんかじゃない。 何百台と目の前を通りすぎていくんだから。
あれは、一体何なのだろうか?

「あれ」とは「これ」↓
  (クリックで拡大)


あとで聞いてみよう。


2時間ぐらいして、召使いの人が俺を向かえに来た。
ドアを叩く音がして、俺がドアを開けると彼が立っていて↓
 (クリックで拡大)

ベンガル語で俺に御飯である事を伝えようとしていた。
俺はなんとなく理解して、「離れ」を出て本館へと向かった。




[バングラディッシュ旅行記(タイ旅行編2)]
1月25日(金)11:35am


タイ旅行編1話を見たい方はココをクリック

タイ王国の宮殿をじっくり見回るのに、1時間という時間は少々短すぎた。
今でも使われている(?)宮殿の前で、本物の銃剣を持った衛兵が交代式をしていたんだけど、
それをゆっくり見るヒマも無かった。

王居を出て、10分もしないうちに運転手さんが向かえにやって来た。

俺達はそれに乗り込み、次の目的地へと向かったのであった。



タイの市街地を抜け、だだっ広い道路をひたすらに走っていく。

途中、何度も見かけたのが、タイ国王のデッカイ肖像画だった。
金色に縁取りされた額の中で微笑んでいたり、たたずんでいたり。

国王が身にまとっているその真っ赤な衣装は、日本史で「明治維新」を勉強した時に見た
「戴冠式」で貴族が着ていた衣装とほぼ同じに見えた。


運転手さんに次の目的地を尋ねると、「昼食ののち、ワニ園へ行く予定です」という答えが返ってきた。

ワニ園? なんだか、タイのワニ園って凄そうだなぁ・・・


さて、車は1時間ほどして昼食を取るレストランみたいなところに到着した。
なんとそのレストランは・・・水上にあるのだ!

川の上に浮いたレストランなんだ。

南国独特の屋根葺きがイイ感じ。



席に通された俺達のところへ、ウェイターの女の子が水を運んで来た。
俺は一瞬飲もうかと思ったけど・・・止めておいた。

生水は飲まない方がいい。。 特に日本人は抗体が弱いんだから。

さぁ注文するぞ! と意気込んだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんと英語が通じない!


一体どうやって注文しろって?
従業員のうちで唯一カタコトの英語を喋れる人が来てくれたけど、良く意味が分からない・・・


注文表は2種類あって、「タイ語」のと「英語」のがある。

「タイ語」の方は、注文できる品数が多くて、値段も安い。(一皿30バーツぐらい)
「英語」の方は、注文できる品数が少なくて、値段も明かに高い!(一皿120バーツぐらい)

しょうがないので、まず「トムヤンクン」をタイ語の注文表から注文した。
・・・・どうやら「トムヤンクン」は通じたようだ。ホッとした。


後はそれほど高くないものを適当に指差して注文した。

フライドライス、つまり焼き飯(35バーツぐらい)を注文したんだけど、それが実際に来た時は度肝を抜かれた。
なんとパソコンのスクリーンよりも大きなお皿の上に山盛りになって出てきたんだ!
そして味の方もかなり美味い!

・・・タイ恐るべし

続いて、「トムヤンクン」、「魚のあん掛け(美味!)」、なとが続々と出てきた。

ヤバイ。ハンパじゃなく美味すぎる。

水上というロケーションもイイながら、値段も安くて味も美味い。
これを極楽と言わずして何と言う?

3人で食べても食べきれないぐらいの量を、腹いっぱい食べた。
そして値段の方は、400バーツぐらいだった。(3人で約1200円!)

タイ料理は美味い! 貴方もタイへ行って美味しい物食べて来なさい!



さて、腹を満たしたところで、いざワニ園へと向かう事にしよう。


・・・30分もしないうちに動物園を思わせる入口ゲートに到着した。
俺達は車から降ろされ、1時間という制限時間の中でワニ園を見回る事になった。

入場料は・・・一人350バーツ(1050円)だった。 高ひ・・・

ゲートをくぐると、そこには妙な自体の日本語で「イラッシャイマセ」と書かれてあった。
日本人が観光に訪れるんだと思う。


俺達はまず、「スペシャル・ショー」があるという特設ステージの方へと向かった。


大きな広場の前に設置された屋根つき特設ステージには、100人ぐらいの人々がショーの開始を待っていた。
俺達も席に腰を下ろした。   ・・・すると・・・いきなり「太陽に吼えろ」の主題歌が流れ出した!

一体なにごとだ!? 松田優作似のワニでも登場するのか!?

・・・いや違うようだ。なんとマジックショーが始まった・・・。

確かにマジックは凄かった。
定番のハトを出すマジックとか、どこからと$b$J$/?M$,EP>l$9$k%^%8%C%/$H$+!#

だが・・・タイのワニ園まで来てマジックショーを見るのは・・・何とも変だ。


なんと、マジックショーは30分もやりやがった!
1時間という制限時間の半分をマジックショーで使ったのだ。

なんという・・・


マジックショーが終わると、象のサッカーが始まったが、俺達は会場を後にした。

去り行く俺達の後ろで、「象の中田君」がゴールを決めたようだった。
「ナカータ!ナカータ!」という声が響いていた。


さて、いざワニ園を見回ろうと意気込んだ。

園内は、本当にもうワニだらけだ。
どっちを向いてもワニ・・・ワニ・・・。
(クリックすると拡大します)
そして全く動く気配が無い。 まるで石のようにジッとしているだけだ。

こんなにたくさんのワニを見たのは、大分地獄巡りの「鰐山地獄」以来だ。

園内をグルッと一周して、制限時間がやってきた。


俺達はワニ園を後にして、次なる目的地へと向かう事にした。


・・・次は「バラ園」へ向かう予定だった。
だけど俺はあまり興味が無かった。それよりももっと見たい物があったんだ。

それは・・・・「巨大涅槃仏像」だ!

誰でも一度はテレビなんかで見た事があると思う。

読んで字のごとく、「巨大な涅槃仏像」なんだ。
「涅槃像」ってのは、涅槃に入る時に仏像、一般的に言うと・・・「寝そべった仏像」の事だよ。

それの「足の裏」がどれ程大きいか、それをこの目で確かめたいんだ!

運転手さんにそれを伝えると、どうやらバラ園を止めて、そっちへ向かう事になったようだ。

車を走らせ、また市街地へと戻って来た。 時計は午後3時半を回っていた。
ジリジリと照り付ける太陽が熱い。

俺達が車を降りると、「トゥクトゥク」と呼ばれる幌(ほろ)付き自転車タクシーの客引きが集まってきた。
今から仏像を見るのでそれには乗らず、大仏殿の方へと向かっていった。

入場料は20バーツだった。ワニ園に比べるとかなりリーズナブルだ。

そして、いよいよ縦長の大仏殿へと足を踏み入れたのだが・・・なんとそこには!

金色の身体を携えた、巨大な仏像が横たわっているではないかァ!!!


おおお・・・デカイぞ!!! すっげーーーデカイ。
(クリックすると拡大します)

このデカさが写真で伝わるだろうか?



巨大な涅槃像を見る事ができた俺達は、大仏殿を後にし、
大仏殿の周りの通りで、通じない言葉をなんとか克服しつつ夕食を手に入れた。
(クリックすると拡大します)


ホテルに帰ったとき、時計は既に7時を回っていた。
部屋に帰ってシャワーを浴びると、泥のように寝入ってしまったのだった。

観光はここまでだ。明日からの「バングラディッシュ」は観光に行くのでは・・・無いのだ。

(続く)


[バングラディッシュ旅行記(タイ旅行編1)]
12月25日(火)10:17pm


今回のバングラディッシュへの旅行日程はこうだ。

=======================================
1日目、
タイ国際空港へ、早朝5時に到着。
その日はタイのホテルに泊まり、翌日朝9時にタイ空港発→ダッカ空港(バングラディッシュ)

2日目〜6日目
バングラディッシュに滞在

7日目
日本へ
=======================================

<1日目>

タイに到着したのは、まだ夜も明けきらない朝の5時。
タイ国際航空に降り立った。
早朝にも関わらず、飛行機を降りた途端にムっと熱気が漂い、南国へ来たんだなぁと実感する。

英語で書かれた表示を辿って、入国審査カウンターをくぐる。

タイ国際航空の入国審査カウンターは、日本のそれと対して変わらず、
観光国家なんだなぁと思わされる。


預けた手荷物を受けとって・・・さて 次は何をするのやら?

実は今回の渡航における俺の目的は美和子ちゃん(母親)の護衛だけ。
一体いつ、どこで何をする予定なのかサッパリ知らない。


タイに着いたけど、何をするんだろう


どうやら、バングラディッシュへ行くのは明日になる為、
今日1日はタイ観光を楽しむ事になっているようだ。

既に予約を済ませたホテルに電話をし、シャトルバスを送ってもらった。

・・・・しかし、電話口でホテル側が
「空港の3階の出た所で待ち合わせましょう」
と言ったのだが、実際に3階外へ出てみると、一体どこで待ち合わせるのか全然解らない。

左車線を大量のタクシーやシャトルバスが行き来し、
どれが俺達のシャトルバスなのかわからないんだ。

・・・困ったな。

しょうがないので、手荷物を見てもらって、俺はシャトルバス探しに専念する事にした。

英語が全く通じないため困難を極めたが、なんとかシャトルバスを発見した。
バスの運転手は、坊主頭が2週間伸びたぐらいの髪形で、爽やかな青年だった。



さて、30分程「バン型シャトルバス」を運転してホテルへ向かったわけだけど、
道すがら、タイの町並みに触れる事ができた。

まず目についたのが、「バイク」の異常な多さだ。これは尋常な量ではない。
信号停止した車の前に、20台ぐらいのバイクが集団を形成するぐらい、
それぐらいの量のバイクが道路を走りまわっているみたいだ。

それから目についたのが・・・・日本語が書かれた大量の建機(建設機材)だ。
日本語が書かれた「ショベルカー」や「クレーン」が道路の向こう側にズラっと並んでいる。
憶測だが、日本で使わなくなった機材が流れてきているんだと思う。


色々な事を考えつつ、俺達一行はホテルに到着した。


シャトルバスはまずセキュリティゲートを通過し、道路上に作為的に作られた凸凹の上を通過し、
真っ白なホテルへと到着したのだった。


シャトルバスから降りると、まずホテルにチェックインした。
俺はその際、気になっていた質問を聞いてみたんだ。

俺  「タイにはチップの文化はありますか?」
従業員「そうですねぇ、ありますよ」
俺  「大体、どれぐらい払うものなんでしょうか」
従業員「そうですねぇ・・・」
俺  「ちょっと質問を変えましょう。あなたがもしレストランで食事をしたとしたら、
     大体どれぐらいのチップを置いて行きますか?」
従業員「30〜50バーツぐらいですかねぇ、、サービスにもよりますが、」
俺  「ありがとうございます。」

ナルホド。これはいい事を聞いた。
日本にはチップの概念が無いので、その部分の常識が欠如しているのでね。



部屋へ案内されて荷物を下ろし、ハンパじゃなく重い荷物を運んでくれたベルボーイに30バーツを手渡した。
なんせ、手作りノートがギッシリ詰まったダンボール箱が2箱もあるんだ。ハンパな重さじゃない。

どうしてそんな荷物があるのかというと・・・・まぁこの話は後にしよう。


美和子ちゃん(母親)によると、この後、タイの主用観光地のツアーを頼んでおいてあるらしい。
$45(U.Sドル)で8人乗りバンと運転手を1日チャーターできて、尚且つツアー観光ができるらしい。

俺達は3人連れだ。
俺、美和子ちゃん(母親)、宮本さん(美和子ちゃんの友達、女性)の3人。
3人で45$という事は、一人頭15$という事だ。
・・・そう考えると悪い値段じゃないような気がして来る。


朝の7時にホテルに到着し、しばらくの休憩の後、9時にツアー観光へと出掛けた。


車窓より外を眺めつつ、タイの街で感じるのは、「活気」だ。
街は活気が溢れ、人々の生活の鼓動が伝わってくるような気がする。

道端に置かれた大量の日本製建機や、道路を走る大量のバイクを除けば、
一昔前の日本の面影が感じられる。

しばらく進むと、今までとは違う風景が開けた。「寺院」だ。
お寺はお寺でも、日本にある「それ」とは全く違った。

赤い屋根に、金色の縁取り、そして何より鮮やかな装飾。
うーむ。見事なもんだなぁ。      
←クリック(ちょっと大きな写真)


運転手さんによると、今俺達が向かっているのは、「宮殿」らしい。
そう。「タイ王国」の宮殿だ。


運転手さんは、俺達をとある場所に降ろした。
ココで、1時間後に待ち合わせだ。

その場所から、長い白い城壁の向こうに、金色の塔が見える。
・・・あれが王宮だろうか?

本物の銃剣を持った兵士がいるゲートを抜け、俺達は王居へと足を踏み入れた。

左に広がる緑の芝生、その向こうに威風堂々とそびえる金字塔。
「金字塔」・・・本当に金色の巨大な塔なのだ。

それを横目に眺めつつ、俺達は先へ進んだ。

入場料を支払うゲートがあり、そこで200バーツを支払って入場チケットを購入した。


そしていよいよ中へ入ったワケだが・・・そこには想像を絶する世界が広がっていた。
口で説明するより、写真で見た方が解りやすいだろう。

    
   
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そうこうしているうちに、1時間という時間は過ぎ去り、俺達は次の場所へと向かったのであった。

続く(クリックすると、2話へと飛びます)


 

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